金魚観




金色のフナたち


僕にとって「金魚」という存在は、「金色の体をしたフナ」と言った方が正しいのかもしれない。
金魚は元来、フナの仲間が突然変異したもので、一説に1500年前の中国の池で、金色に輝くフナが発見されたのが金魚の始まりといわれている。現在まで人間に世話してもらうことでその子孫を繁栄させてきた。一匹の発見が、まさかこんなに多くの品種になり、世界中の人々に愛されることになろうとは、昔の人もさぞビックリすることだろう。
 金魚は、人の手による品種改良で作出されている。しかし、最初の金魚である金色のフナは、沢山の原種のフナを飼っていても出現しないらしく、人間は、フナを金色に変えることすらできないのです。
その金色のフナの発見から何百年もかけて、多くの品種の金魚を人間が作ってきたが、完全に種として定着している品種は、ほとんどいない。もしも、人間が選別作業をしなかったら、金魚たちは自由交配し数代ほどでフナに戻ってしまうらしい(あのランチュウでさえも・・・)。
そう考えると、金魚の歴史は、金魚をフナに戻そうとする神様に、人間が抵抗してきた歴史とも言えるのではないだろうか? 金魚を愛する人間がいなくなれば、すべての金魚はフナに戻ってしまう。金魚たちは、美しさと同時に空しさも背負って生まれてくるのです。
 では、金魚は一体何者なのか?かわいらしいあの姿は、仮の姿なのか?
ものすごく怪しげに感じませんか?僕には、ヒラヒラと泳ぐ可愛い体の奥に原始のフナの体が隠れているように見えます。
金魚の中に見る大自然。そして人間。
魚類の中で、人間のもっとも近くの座を獲得し、共に長い歴史を歩んできた金魚が、実はどこからやってきたかもわからない馬の骨(魚の骨と言うべきか)なのです。




金魚救い


 ある日、「ああ、もう美術なんてやめてしまおう。」と思った。
自室で、寝転がったとき、ベッドの横にあった小さな水槽が目にとまった。
そこには7年前に夏祭りですくってきた金魚が1匹いた。名前はキンピン(メス)。
たいして可愛がりもせず、粗末に扱ってきたため、水も汚れてフンまみれ、しかし彼女は生き続け、20cm以上になっていた。
僕は、水槽のふたを開け、彼女を上から見てみた。そのとき、僕の背筋がゾクゾクっとした。
汚れた水の中で、赤く光る彼女の背中は、怪しく、そして最高に美しかった。
「この子がきっと僕を救ってくれる。」
そう信じて、赤い絵具を取り出し彼女をモデルに筆を走らせた。楽しい!楽しい!楽しい!そして、あっという間に金魚の大群が生まれた。〈これだ!〉 
僕の探していた答えが、ヨーロッパでもなく、アメリカでもなく、まさにこの部屋にあった。
僕は、この日の出来事を「金魚救い」と呼んで大切にしている。